ぶらり、大山 〜大山の不思議と素敵を語る〜
[第20回]冬に際立つ大山の峰々
「大山」と表現された時、イメージするのはどんな山容だろうか。東西南北、方向によってすべてカタチが違うので、脳裏に刻まれた大山の山容は人によって様々であるようです。が、多数決を取るなら、西麓から望む大山の姿がよく知られていることもあり最も一般的なのかもしれません。
さて、大山は独立峰ということでひとつの山塊と認識することが多いですが、実は側山も含め様々な峰が並んでいます。連山というほどではないですが、それぞれの峰は特徴的なカタチをしており、その峰名は名付けられた時代や信仰が反映されています。由来を想像し、調べていくと実に面白く、興味がそそられる峰が現れたりします。
私が好きなのは厳ついカタチをした「甲ヶ山(かぶとがせん)」。冬にその厳しさが際立ちます。甲とは武将が頭部を防護するためにかぶった武具で古代より江戸時代まで使用されました。近代はヘルメットでしょうか。かつては兜と表記されていたようですが、中世以降の軍記物語では甲(よろい)を「かぶと」と読ませたようです。当地の代表的な武将と云えば・・・、想像力を働かせるとその名が浮かんできますが、きっとその中の誰かが名付けたことでしょうね。また甲は「きのえ」とも云いますが、その理由についても実に興味深いです。長くなるのでここでは省略しますが、関心がある方は是非調べてみてください。
右隣の矢筈(やはず)、小矢筈(こやはず)も面白い峰名です。矢の端の、弓弦(ゆづる)を掛けるところということで、甲ヶ山と対になっているような名前です。また、細い棒の先に叉のついた、掛け物を掛ける道具のこともそう表現しましたが、まさにそのカタチをしています。この3つの峰がそんなカタチに見えるのは西側の米子方面からで、朝焼けシルエット写真からも確認できます。
大山を代表する峰は何といっても山頂と認識されている弥山(みせん)です。仏教の宇宙観(ヒマラヤの信仰をもとにした)において、世界の中央にそびえるという山・須弥山が由来とされています。サンスクリット語でスメールと云われ、仏教とともにインドから中国を経由し、日本には空海によってもたらされたということです。山頂には"有頂天"という天界があるようですが、大山の有頂天から滑り降りることを楽しむスキーヤーやスノーボーダーが増えてきました。見事な曼陀羅図を描いているようだ。なんて。
次いで代表的な峰が「三鈷峰」です。北壁の東端にそびえる見事な尖がった峰で、信仰の山・大山では特に重要な峰です。峰名の由来は、激しい怒りを示し威圧的で恐ろしい姿の「不動明王」が右手に持つ三鈷剣とされています。あらゆる災厄、障難を切りはらい、持つ人を力強く守る降魔の剣で、まさに大山(信仰の世界)を守る役割を担っています。大山の西側遠方から見ると、弥山が不動明王の体、左の三鈷峰が三鈷の剣、右側に見える烏ヶ山が不動王の握りしめている羂索(けんじゃく)だということがわかります。この羂索は、悪を縛り上げ、また煩悩から抜け出せない人々を縛り吊り上げてでも救い出すための投げ縄のようなもの。そして後方の朝焼けが不動明王が背負う迦楼羅炎(かるらえん)。少々難しくなりましたが、弥山、三鈷峰、烏ヶ山、そして朝焼け(暁光)をひとつの塊で認識したほうがよさそうです。ちなみに、不動明王は大日如来の化身であり、大日如来は現在の大山寺本堂(中門院・大日堂)の信仰の中心でした。
雪を被った大山はその存在感が際立ちます。特に、朝日に照らされ東麓(倉吉方面)からの大山は、眩しいまでの白さです。倉吉を漫画家の谷口ジローさんは"遥かな町"と表現されましたが、まさにその通り。真白な大山を中心に左に蒜山三座、右に甲ヶ山から船上山の連峰姿はダイナミックで、西側のそれとは違う魅力的な風景です。
最後に北麓から望む大山をご紹介します。このあたりは大山寺の寺領でもあり、古くから大山寺にとっては重要な地域でした。ここに暮らす人々は、目前にこんなにも広がりのある大山を仰ぎ見ていたのですね。大山曼陀羅世界を支える高い意識が豊かな大地を育んできたことでしょう。真北に位置することから朝日に染まる大山、夕陽に染まる大山、両方を見ることができる地域です。"大山さん"と呼ばれた理由が解りますね。合掌。
BUNAX