ぶらり、大山 〜大山の不思議と素敵を語る〜 大山開山1300年祭 特別コラム

[第36回]インドの仏教最高指導者・佐々井秀嶺さんと大山

世界が驚くニッポンのお坊さん佐々井(ささい)(しゅう)(れい)、インドに笑う」(白石あづさ著:文藝春秋)というノンフィクションが6月20日に発刊されました。その中で、佐々井さんの原点のひとつでもある大山、そして米子とのつながりも描かれており、大山人(だいせんびと※大山に深い縁があった人)のひとりとしてご紹介させていただきます。佐々井さんの活動は、これまでNHKなどで取り上げられ、ご存知の方も多いと思いますが、大山や米子とかかわりがあったことはほとんど知られていません。


https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163910369

大多数がヒンドゥー教徒であるインドで、カーストのない仏教に改宗する人々が爆発的に増えてきました。3000年間にわたり、「触れると穢れる」と差別されてきた不可触民を中心に、50年ほど前には数十万人しかいなかった仏教徒が今や1億5千万人を超えたということ。その中心的役割を果たし、現在も最高指導者として活躍されているのが佐々井秀嶺さん(83歳)。佐々井さんの怒涛の半世を描いた女性ライターによる密着同行記はユーモア溢れる筆致で描かれており、大きな話題になりはじめています。

 

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(写真1:インド インプレッション。中央の塔は世界遺産・ブッダガヤの大菩提寺【仏教の最高の聖地】)


第4章「人生の暗夜行路」で、佐々井さんの生い立ちが綴られています。鳥取県境の菅生村(現在は岡山県新見市)で産声を上げ、9歳で終戦を迎え、中学卒業後は一旗揚げようと上京したが叶わず、18歳で帰郷し新見市で薬草店を開く。この頃、酒と女に溺れ苦悩の日々を送り、自暴自棄に。その後、新見を逃げるように米子の親戚に身を寄せることに。

苦悩は続くが、親切なおばさんに高校に行くことを進められ、不思議な縁もあって、23歳で米子東高校に入学(後に中退)。だがブランクは大きく、勉強は分からず、子供のような15歳の若者とは話も合わず、また苦悩の日々に入る。翌春、野球部が甲子園で準優勝し、街では華々しく選手たちが凱旋パレード。それに引き換え、泥だらけのような佐々井さん、凱旋パレードの声を背に、大山山頂へ死出の旅にでかけた。小さな庵(蓮浄院:志賀直哉の「暗夜行路」の舞台になった宿坊)の前で野宿したら自殺する気が失せ、人生の暗夜行路に出発するぞと、力が湧いてきたということ。

そして、坊主になりたいと、比叡山に行くが、相手にされず絶望。再び死に場所を求めて大菩薩峠(山梨県)へ。しかし御来光を浴びて、生きる気力が満ちてきた。そして縁あって麓の寺に助けられ、高尾山薬王院で仏門に入ることに。そこで壮絶な修行をして道が開け、大正大学、タイ・バンコクの大寺院への留学へと歩みを進めることに。しかし、タイで再び苦悩し、逃げるようにインドへ。この時、32歳。怒涛の人生だが、さらにここから50年以上に渡って超怒涛の人生が始まることに。この詳細、続きは本でお楽しみください。

13億7千万人が住まう灼熱の大地・インドはカオスという言葉が似合うアナザーワールド。暑さと湿度の高さは、まさに“輪廻転生”の世界。ヒンドゥー教や仏教などの宗教思想が生まれた理由もわかるよう思います。約2500年前に釈迦が提唱し誕生した仏教はヒマラヤ山脈を大きく回り込むようにして中国に伝わり、そして日本へ伝わりました。紆余曲折はありましたが、仏教(江戸時代までは仏法、仏道と表現)は1500年近くにわたり深く信仰され、また神道と集合し、日本のカタチを規定してきたと言っても過言ではないでしょう。この宗教思想の原点・インドで、仏法、仏道を実践し、インド仏教を復興した佐々井さんは現代の釈迦と言えるのかもしれません。

 

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(写真2:在りし日の大山・蓮浄院(フリッツ・カルシュ撮影)と高尾山薬王院【東京・八王子】)

 
佐々井さんの法名“秀嶺”は、高尾山で得度された際に薬王院貫主から賜ったものということですが、この嶺は高尾山から見える富士山のことでもあり、原点のひとつでもある大山のことなのかもしれませんね。いやいや、今となっては釈迦が仰ぎ見たであろうヒマラヤの世界一の高嶺のことでしょう。

 

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(写真3:大山、富士山、ヒマラヤ山脈エベレスト【ネパール名ではサガルマータ】)


中海を挟んだ対岸の松江市はインド思想と仏教学の世界的権威・故(なか)村元(むらはじめ)博士のふるさと。大山を正面に望む大根島・大塚山のふもとに「中村元記念館」が、生誕100周年を記念して2012年10月に開館しました。この記念館は博士の功績の顕彰をするだけでなく、東洋思想・文化研究の啓発普及が行ない、今なお世界中の仏教研究者に影響を与え続けています。そして実践者としてインド仏教の頂点に立つ佐々井秀嶺上人、二人の先達が当地と深い関係にあることに不思議な縁を感じます。あらためて、赤土の大地が広がり、カオスのエネルギーが満ち満ちた私たちの心の原点・インドに出かけてみたくなりました。


http://www.nakamura-hajime-memorialhall.or.jp/profile.html

           
※上人とは仏教における高僧への敬称であり称号です。

                                                                      

                             (BUNAX) 

 

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