ぶらり、大山 〜大山の不思議と素敵を語る〜 大山開山1300年祭 特別コラム

[第32回]天空の城・米子城の夕景 ~紅に染まる大山と錦に輝く中海~

近年、社会の大きなうねりとなったのが“歴史の見直し”。全国的に新しい発掘や発見もあり、従来の見方や解釈が大きく変わり、それとともに「歴史ファン」も増えてきました。なかでも、各地に当時のカタチが残る“城”が注目され、空前の“お城ブーム”が起きています。そんな背景の中、国史跡の米子城跡も新しい発見などが続き、多くのお城マニアから注目されることになりました。今回は、米子城跡(頂上)から望む特徴的な夕風景をご紹介します。それは、タイトルの通り、東の彼方にそびえる“紅大山(くれないのだいせん)”と西方の眼下に広がる“錦海(にしきのうみ)”です。

 

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(写真1:紅大山 夏)

米子城跡での夕暮れ時は、茜色に染まる西方に目をやりがちですが、反対側の東方にそびえる大山にも注目したいものです。このタイミング、上部の山肌が夕陽を反射する鏡のようで、紅に光を放っています。夏時期は山頂付近が灰色の山肌のため、色合いは薄紅といった感じですが、冬は真白な雪が驚くほどの濃い紅に染まることがあります。かつて日本を代表する風景写真、白川義員(しらかわよしかず)さんがセスナ機を使ってそんな紅大山を撮影され、写真集「永遠の日本」で発表されましたが、その神々しさには驚かせられました。その写真を掲載することはできませんが、写真集の紹介サイトがありますので、参照(イメージ)してみてください。


https://shogakukan.tameshiyo.me/9784096998601


下の写真は、筆者が米子城周辺でから望遠で撮った冬の夕暮れ、紅大山です。

 

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(写真2:紅大山 冬)

米子城は戦国時代末期の天正19年(1591年)に吉川広家によって築城が開始されました。広家は時の天下人、豊臣秀吉の命により、西伯耆、出雲、隠岐などの領主になり月山富田城(安来市広瀬町)に入りましたが、交易等を重視した新しい時代にはそぐわなかったのか、交通の要衝の可能性のある米子に注目しました。大山を望み、中海を自然の堀とした湊山と周辺の低地に、秀吉の城造りや城下町デザインを参考に、近世的な城と都市づくりを行いました。このあたりは、歴史ガイドブックなどで紹介されていますので、そちらを参照いただくとして、新しいトライを試みました。それは、“米子城から望む夕景が、実はこの湊山に築城した理由のひとつだったに違いない”と。

戦国の世は、まさに戦(いくさ)が続く世の中で、武将たちは心が休まることがなかったと云われています。だからこそ、安寧を求めて、また戦に勝つことを願い、熱心に神仏に祈りを捧げました。広家も周辺の主な寺社に寄進をしたことが知られていますが、それが祈り(信仰)の証でもあります。

ここ米子城(湊山)は、聖なる山・大山から昇る朝陽に手をあわせることができ、また夕陽に紅く染まる海と空に手をあわせることができる最高の立地です。前者の朝焼けは現世利益を司る仏・薬師如来の「瑠璃光浄土」、そして後者の夕焼けは、死後に極楽へ導く仏・阿弥陀如来の「極楽浄土」の世界そのものだったに違いありません。そんな錦に輝く極楽浄土の海が下の写真です。なんと、正面左側には観音菩薩(阿弥陀如来の化身)がシルエットで浮かび上がっています。このシルエットは嵩山と和久羅山の山塊で、山の西側に位置する松江、平田、出雲方面では“寝仏”“寝釈迦”と古くから親しまれてきました。米子からは寝仏と表現するより、“寝観音”と表現するのが相応しいカタチです。ちなみに、この山塊、境港からは近くに見えることから、多くの市民馴染みがあるようで、“キューピー山”と親しまれています。

 

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(写真3:錦に輝く極楽浄土の海)

空気が澄んだ日の夕刻、下の写真のように米子城からは隠岐(島後)を望むことができます。手前の濃いシルエットは島根半島東端の美保関・地蔵埼。その先には美保神社の飛地境内とされる岩礁「地の御前」のシルエットも。そして後方の若干薄いシルエットが島後です。地蔵埼に重なるように高い峰がありますが、これは隠岐の最高峰・大満寺山です。麓には隠岐の玄関口・西郷港があります。吉川広家は軍事、交易の面で海上交通を相当意識していたことが想像できますが、ここ米子城は隠岐~本土の海域、美保湾を含む日本海、そして中海を一望できるため、領地周辺を航行する全ての船の動きを掌握する意味でも最高の立地だったのでしょう。
 
実はこの地蔵埼と大満寺山は米子城の真北に位置しています。ちなみに、真南には比婆山伝説で知られる母塚山があり、その麓には広家が寄進して建立(米子城築城開始前年)されたとされる福田正八幡宮もあります。この4点が南北一直線に並びますが、ここには深い意味がありそうですね。

 

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(写真4:地蔵埼と隠岐島後)

山陰を代表する夕日スポットといえば、松江の宍道湖南岸が知られていますが、夏時期(4月~8月)は米子城がより美しいと思います。この時期は日の入り方向が北寄りになるため、松江ではすぐ向かいの島根半島の山々に沈み、宍道湖に映る光道は短くなります。一方、天空の城・米子城から望む光の道は中海の対角線上の枕木山あたりに沈むため、長くなり、風等の状況によっては中海全体を錦に彩ります。見事な色合いに染まる空と海、そして間に漆黒の山並み(寝観音)シルエット、まさに「極楽浄土の風景」と表現したい。下の写真はそんな光の道を望遠で撮ったものですが、あまりの美しさに息を呑むほどでした。この夏、米子城に夕焼けハンティングに出かけてみませんか!? きっと驚くような絶品の夕景に出会えます。

 

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(写真5:極楽浄土への錦の道)

 

                                 (BUNAX) 

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