ぶらり、大山 〜大山の不思議と素敵を語る〜 大山開山1300年祭 特別コラム

[第1回]大山開山、原点の風景を読む

大山開山1300年祭 大山開山、原点の風景を読む

開山1300年祭の開幕を告げる大山寺の開創法要(5/20)も執り行われ、新緑の大山には多くの参詣客、登山客、観光客が訪れています。例年以上の賑わいに、大山寺のご本尊・地蔵菩薩も喜んでいることでしょう。

大山開創(開山)についての伝承「大山寺縁起」では起源や信仰のすばらしさを伝えています。1300年祭の公式ガイドブックなどでも繰り返し紹介され、その内容については多くの方がご存じだとは思いますが、あらためて想像力を膨らませて伝承を振り返ってみましょう。

大山寺開創の伝承

大山開山1300年祭 大山開山、原点の風景を読む

大山開創の伝承をコンパクトにまとめると次の通り。
「出雲の国玉造の猟師・依道が美保の浦を通り過ぎた時、海の底から出てきた金色の狼を追って大山に入り、一矢で射殺そうとしたその時、地蔵菩薩が現れ、依道は殺生を悔いた。狼は老尼となり“自身は三生(前生、今生、後生)の行者として、この山を守る山神であり、依道と出会う運命だった。共に地蔵菩薩の御利益をいただこうではないか”と説いた。それにより、依道は仏道に帰依、金蓮上人と名を改め、老尼と同じ心をもって修業に打ち込んだ。」

歴史や信仰を読み解く需要なキーワードが散りばめられています。
今回は前半のこの一文にに注目して考察してみます。
「美保の浦を通り過ぎた時、海の底から出てきた金色の狼を追って大山に入り…」

美保の浦~大山が絶景の地

大山開山1300年祭 大山開山、原点の風景を読む

美保の浦(美保関)がここで登場しますが、海越しの雄大な大山、しかも北壁、側山の甲ヶ山などすべての山並みが見渡せる絶景の地であることがその理由と思われます。また、美保関の先端の岬は「地蔵埼」という名前ですが、地蔵信仰の山・大山との深いつながりを示しています。
また、大山は古に「八葉峯」と表記されることもありましたが、これは蓮の8枚の花弁を放射状に並べた形に似た山容ということ。仏教においてハスは知性や慈悲の象徴とされ、死後の極楽浄土に咲く花とされ、お釈迦様の台座に必ずといっていいほどデザインされています。大山寺を包み込むようにそそりたつ北壁のカタチが蓮の花を連想させたのでしょう。美保関から望む大山、北壁はこの名前が相応しくもあり、ここには“金蓮上人”の名前とのつながりが見えてきます。さらに、当時、美保の浦は大変重要な交易の港で、相当な賑わいがあったこと、大山信仰に熱心な地域であったことも登場の背景にありそうです。

海の底から出てきた金色の狼~ダイヤモンド大山が海に映る

大山開山1300年祭 大山開山、原点の風景を読む

海は美保関の前面(南側)に広がる美保湾。冬至の前後一カ月程度は、大山の麓から金色に輝く朝日が昇ります。ドラマチックな風景に誰もが手を合わせたくなるほどです。そして、朝なぎの海面に映る輝く日の出。その水鏡に映る日の出を海の底から出てきた“金色の狼”に見立てたのは間違いなさそうです。狼の語源は大神とされていますが、日本では古くから狼信仰が存在しています。日本書紀には狼のことを「貴神(かしこき神)」と記述されており、また大和国風土記には「真神」として神格化されたことが語られているほどです。当時、狼信仰の御利益は五穀豊穣や獣害避けとされ、その想いを重ね合わせたのが金色の狼なのだと想像できます。
そして依道は金色の狼を追って大山(太陽の出たところ)に入り、地蔵菩薩に出会い、殺生を悔い、山の神に出会い、仏道に帰依し、修行に打ち込んだ・・・。素晴らし開創譚が展開していきます。ポイントになる風景が見えてくると、全体の物語が目に浮かんできます。

以上の考察から金色の狼の正体は、大山から昇る金色に輝く太陽であることが解ります。
そして金蓮上人の名前の由来も紐解けてきますね。

終わりに

今回は美保関から見る日の出の風景から、この大山寺開創(開山)を読み解くことにトライしてみました。いかがだったでしょう。近年、ダイヤモンド大山ということで、山頂から太陽が昇る瞬間を写真することがブームになっています。実は、これが大山信仰の原点なんですね。1300年前(奈良、平城京の時代)の大山開創期の時代、そして大山寺縁起の書かれた時代(鎌倉時代)のダイヤモンド大山の風景は同じです。そう考えると、大山1300年の歴史が大変身近なものとなって捉えることができそうです。

(BUNAX)

上に戻る